特集

弊所発行の「月刊クリンネス」に掲載された過去の連載コラムの中から、テーマ別に選りすぐりの記事をご紹介します。

安富和男先生の面白むし話(14)

日本衛生動物学会・日本昆虫学会 名誉会員 安富和男

いきもの 安富和男先生の面白むし話(14)虫送りとウンカの駆除

 現在でも各地で見られる「虫送り」の行事は、村から害虫を退散させ、五穀の豊穣を願う素朴な祈りであり、「虫追い」(蝗逐(むしお)い)ともいわれます。藁(わら)で作った人形などを中心にして、村人総出で松明(たいまつ)を連ね、鐘や太鼓、ほら貝ではやしながら農道を練り歩くものです。
 稲作害虫の中では特にウンカの害が深刻で、江戸時代の享保年間では多数の餓死者が出たほどで蝗害(こうがい)といわれました。今では漢字の蝗はイナゴと読みますが、古くはウンカでした。盛夏に多発するセジロウンカは「夏ウンカ」、秋の初めに多いトビイロウンカは「秋ウンカ」と呼ばれ、いずれも成虫の体長は5mmくらい、幼虫・成虫とも稲の茎や葉から汁液を吸って加害し飢饉まで起こす虫です。大発生するので「雲蚊(うんか)」とも表現されました。日本における本格的な「殺虫剤事始め」は、寛文10年(1670年)、現在の福岡県遠賀(おんが)郡の篤農家・蔵富吉右衛門(くらとみきちえもん)氏による「ウンカの注油駆除」です。これは水田の水面に鯨油を注ぎ、竹で稲株のウンカを払い落とす方法であり、のちに油の種類は除虫菊浸出石油などに置き換えられて全国的に普及しました。第2次大戦中や戦後には、松根油(しょうこんゆ)や馬酔木(あせび)の有効成分アセボチンを配した豊年油が登場し、昭和20年代後半の有機リン剤の出現まで「注油法」はウンカ駆除の主流でした。世界の害虫駆除史の中で、最も先駆的なもののひとつです。
(2012年8月号掲載)

いきもの 安富和男先生の面白むし話(14)コガタアカイエカの殺虫剤抵抗性

 コガタアカイエカは日本脳炎ウイルスの媒介者で、水田を主な発生源にしています。ウンカやニカメイチュウなどの稲作害虫に有機リン剤が散布されるようになってから、コガタアカイエカは巻き添えを食って減少の途(みち)をたどり、それに付随するように日本脳炎の流行も下火になっていました。ところが、1981年頃からコガタアカイエカが全国的に増え始めたのです。コガタアカイエカに強い有機リン剤抵抗性が発達していたためでした。そのことを最初に明らかにしたのは、上村清(かみむらきよし)博士です。私も、全国16地域のコガタアカイエカの幼虫について実験したところ、有機リン剤に対して数千倍から10万倍以上もの強さを示していました。水田に農薬として使われている有機リン剤の効かないコガタアカイエカが、全国的に分布していたのです。水田に棲(す)む天敵は農薬に弱いために死んでしまうという、水田生物相の変化もコガタアカイエカの増加を促しているといってよいでしょう。
 コガタアカイエカの強い抵抗性の仕組みを探ってみると、次のようになります。抵抗性を起こす要因は複数あり、まず第一は有機リン剤を分解する酵素(アリエステラーゼ)の活性が強いことです。そして主役は神経酵素(アセチルコリンエステラーゼ)の感受性低下です。言い換えれば作用点の酵素が変化して、不感症になっているので薬剤が効きません。
(2012年8月号掲載)

いきもの 安富和男先生の面白むし話(14)紫色に光る国蝶オオムラサキ

 国蝶のオオムラサキは大型のタテハチョウで、飛ぶときの羽ばたきや滑空に貫禄があり、特にオスの翅(はね)は美しい紫色に光ります。その仕組みを探ってみると、鱗粉の超微細な線条(すじ)が特定の波長を反射する「構造色」で、2つの波が重なるために起こる「干渉」という現象によるものです。国蝶に指定されるのにふさわしい輝きといえるでしょう。
 オオムラサキのオスはこの金属的な輝きを2つの示威(じい)行動に使います。ひとつは縄張りの確保、もうひとつはメスに自分の存在を見せつける誇示であり、極楽鳥のオスに見られる示威行動と同じ意味を持つものです。
 オオムラサキのオスはクヌギなどの高い梢(こずえ)に翅を開いてとまり、その一帯を縄張りにします。一周りパトロール飛行してきてはまた同じ所に戻り、近くにライバルが飛来すると物凄い勢いで追撃して追い払うので、気の強さでも王者の資格十分です。
 オオムラサキの幼虫は、エノキの葉を食べて育ちます。晩秋になると幼虫は地上に降り、枯れ葉にくるまって越冬し、翌春に再びエノキに登り、若葉を食べて成長を果たします。越冬中の幼虫は褐色、活動している幼虫は緑色、保護色で身を守る本能の知恵は見事です。
 コオロギやセミのオスは鳴き声でメスを誘いますが、オオムラサキのオスが示す紫の輝きも、ひけをとらない戦略といえましょう。
(2013年8月号掲載)

いきもの 安富和男先生の面白むし話(14)国宝「玉虫厨子」の美しい甲虫

 大和(やまと)・法隆寺の国宝「玉虫厨子」に使われたタマムシは、金緑色に輝く鞘翅(しょうし・さやばね)に赤紫色のすじを装った甲虫で、日本に203種生息するタマムシ科を代表する大型種です。玉虫厨子は飛鳥時代の作品で、数千匹ものタマムシの鞘翅が鏤(ちりば)められています。採集には竹ぼうきや熊手が使われたようです。タマムシはヤマトタマとも呼ばれ、その美しさゆえに昔から愛されてきました。タマムシを箪笥(たんす)に入れておくと着物が増えると信じられ、女性はタマムシを白粉箱(おしろいばこ)に入れて箪笥にしまっていたそうです。当時の白粉には鉛が使われていたので、カツオブシムシやヒョウホンムシの食害を受けずに保存できました。
 日本のタマムシと同じ種類は、韓国と台湾にも分布しています。インド、中国やフランスなどの近縁種は、女性の髪飾りやイヤリングに使われるそうです。また、「玉虫色」という言葉は、光線の具合いによって金属光沢が変化することに由来します。
 タマムシの幼虫は樹勢の衰えたサクラ、エノキ、ケヤキ、カシなどの材部を食べて育ち、成虫が夏に羽化します。アメリカにすむアメリカアカヘリタマムシは、衰弱したマツの立木(たちき)で生育し、金緑色の鞘翅が赤く縁取られています。幼虫の入ったマツが建材になると、乾燥が発育の間のびを起こし、50年のちに異国で成虫が現れたという記録もあります。
(2013年8月号掲載)

いきもの 安富和男先生の面白むし話(14)カブトムシの暮らし

 カブトムシは日本最大のコガネムシであり、オスは頭と前胸背(胸の背中側)に立派な角を持っている魅力たっぷりの昆虫です。人気者のカブトムシについて、その生いたちや暮らしぶりを探ってみましょう。
 カブトムシの幼虫は、腐蝕した落葉を食べて育つので農家の堆肥(つみごえ)は絶好の「ふるさと」になります。したがって、カブトムシがたくさんいるのは山奥ではなくて人の暮らしにつながった里山であり、近くに成虫の餌になる樹液を出すクヌギの生えた所が楽園です。
 樹液の泉にはカブトムシの他、クワガタムシ、カミキリムシ、カナブンなどの甲虫、ルリタテハ、ゴマダラチョウ、キマダラヒカゲなどの蝶やスズメバチが集まり、餌の奪い合いが起こります。強さの順序では、常にカブトムシがトップです。カブトムシのオスは、角を梃子(てこ)のように使って邪魔者を投げ飛ばします。相撲の決まり手に小手(こて)投げがありますが、カブトムシの場合は「梃子投げ」です。
 カブトムシは力持ちです。前胸背の角に紐をつけて玩具の機関車を引かせると、体重の100倍の重さを動かす力を発揮して王者の貫録を見せます。夏に産まれた卵から約10日でふ化したカブトムシの幼虫は、秋まで育って越冬します。カブトムシ成虫の寿命は平均して50日であり、約380日の一生を送る暮らしです。
(2014年8月号掲載)

いきもの 安富和男先生の面白むし話(14)トビイロゴキブリの分布拡大

 トビイロゴキブリの成虫は体長4~4.5cmで褐色、前胸背面に輪のような斑紋を備えており、ワモンゴキブリに似ています。ワモンゴキブリの輪紋が黄白色であるのに対して、トビイロゴキブリでは鳶色を呈しているので容易に区別できます。トビイロゴキブリはもともと南米、アフリカ、東南アジアなどの熱帯、亜熱帯に広く分布し、日本では南九州から沖縄に生息する種類ですが、1960年代から1970年代にかけて福岡、愛媛、名古屋やさらに北海道にまで拡がってきました。
 東京オリンピックがあった1964年、筆者は殺虫剤抵抗性を調べるために名古屋市衛生局の御厚意でチャバネゴキブリを入手したのですが、その中にトビイロゴキブリの幼虫が混ざっていました。南西諸島からの荷物とともに侵入したらしいという説明でした。
 元名古屋市衛生研究所の伊藤秀子先生の調査研究(1977年)によれば、名古屋市内におけるトビイロゴキブリの生息場所はいずれも年間を通じて温湿度の調節されたビルの地下で、香港、台北、マニラの気温と一致しており、南から渡来して定着したようです。
 トビイロゴキブリの分布拡大には、単為(たんい)生殖をする特異性が関与しています。オスの精子を受けずに卵子が発育して幼虫に育つという生殖により、分布を拡げつつある現状です。
(2014年8月号掲載)

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