- 日替わりコラム
Tue
7/29
2025
向田さんはキリスト教関係の出版社から「愛」について書いて欲しいと依頼され、ふと考えていました。そして繭玉から糸を手繰り出すように子供の頃(戦前)の夜の情景を思い浮かべていました。子供の頃はよく夜中に起こされたものです。それは父が宴会の折詰を持って帰ってくるからです。三女は乳のみ児なので、三人の姉弟が茶の間に連れてこられます。父は折詰から料理を皿に取り分けてくれ、日頃短気な父が人が変わったように優しくなります。料理はおいしいが、夜が遅くて眠い。祖母は母に小さな声で「可哀そうだから寝かせたほうがいいよ」と言いますが、母は父の気持ちを察していました。
夜更けに、親たちは子供には食べさせない物を食べていました。私はたまにご不浄(ふじょう)に行くついでにご馳走になっていました。祖母からバナナをもらう時は、大人扱いされるのが嬉しかったものです。そんな夜を過ごしながら、母は私たちが小学校で使う鉛筆を削ってくれていて、その鉛筆は削り口が滑らかで書きやすいものでした。記憶の中で「愛」を探すと、父の折詰や母が鉛筆を削る時の音などを思い出します。私たち姉弟はそれに包まれながら毎晩眠っていたのです。でもキリスト教の雑誌に下世話な内容はきまりが悪い。枚数も短いことだから、その次の次ぐらいに思い浮かんだ「愛」の景色を書くことにしました。
写真技術研究所別所就治
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