Kanbunken 環境文化創造研究所

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2021

三浦半島の自然と歴史(2)三浦一族と笠懸(かさがけ)

 三浦半島の先に、油壺(あぶらつぼ)という地があります。ここは、かつて三浦一族の新井城があったところです。伊勢宗瑞(いせそうずい)(北条早雲(ほうじょうそううん))に攻められた三浦道寸(どうすん)(義同(よしあつ)と義意(よしおき)(通称:荒次郎)親子は、3年間にわたって戦いましたが、2人は自害、ほかの将兵も討死または油壺湾へ投身したと伝えられています。そのため、湾一面が血潮で染まり油を流したような状態になったので、後に「油壺」と呼ばれるようになったそうです。
 3年間持ちこたえられた理由のひとつは、引橋という橋でしょう。三崎と半島の境にあり、敵が攻めてきたときにはその橋を引いて外すことができたことから「引橋」という名が付いたといわれています。現在、その場所には道路が通っています。先端は城ヶ島につながり、途中西側に東京大学大学院三崎臨界実験所と京急油壺マリンパーク※1 があります。
 今も三浦一族を偲んで荒井浜海岸では道寸祭りが催され、笠懸※2 が披露されます。笠懸は、源頼朝が三浦三崎遊覧の際に催され、三浦一族のお家芸として長く伝えられてきました。昭和54年、我が国初の恒例行事として復活しました。
 油壺湾は、内側に入江があるので波が穏やかで、台風の時の避難港として使われています。それ以外にも小網代(こあじろ)湾、諸磯(もろいそ)湾などいくつかのヨットハーバーがあります。

※1 本年9月30日に閉館
※2 平安末期から鎌倉、室町時代にかけて流行した流鏑馬(やぶさめ)、犬追物(いぬおうもの)と並ぶ日本の三大古弓馬術のひとつ。疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)を放って的を射る競技

特定非営利活動法人 バイオメディカルサイエンス研究会 常任理事前川秀彰

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