イカリホールディングス株式会社 よりそい、つよく、ささえる。/環文研(Kanbunken)

DAILY COLUMN

- 日替わりコラム

Tue

12/10

2024

ストレス社会を心穏やかに生きる(122)四十にして惑はず

 孔子(こうし)の『論語(ろんご)』に
 吾十有五而志于学(吾(われ)十有五(じゅうゆうご)にして学(がく)に志(こころざ)す)
 三十而立(三十(さんじゅう)にして立(た)つ)
 四十而不惑(四十(しじゅう)にして惑(まど)はず)
 五十而知天命(五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)を知(し)る)
 六十而耳順(六十(ろくじゅう)にして耳(みみ)順(したが)ふ)
 七十而従心所欲不踰矩(七十(しちじゅう)にして心(こころ)の欲(ほっ)する所(ところ)に従(したが)ひて矩(のり)を踰(こ)えず)とあります。この言葉をもとに、15歳を「志学(しがく)」、30歳を「而立(じりつ)」、40歳を「不惑(ふわく)」、50歳を「知命(ちめい)」、60歳を「耳順(じじゅん)」、70歳を「従心(じゅうしん)」とそれぞれ申しますが、これらは、孔子が人生の歩みの中で、その時々に達した境涯なのだと思います。
 私自身、中学3年生(15歳の「志学」)の時に感じたことは、このような「生き方」をしたいということでした。そして、今月、「不惑」の歳となり、「不惑」どころか、惑ってばかりの自分に苦笑してしまいますが、未熟な自己と向き合って、一生懸命踠(もが)きながら生きることも、人間らしい尊き「生き方」なのかも知れません。
 「安心(あんじん)(得悟(とくご))して、迷えばよい!」
 この矛盾にも似た師の言葉が、いつでも私を𠮟咤激励してくれます。

合掌

下野薬師寺別院 舎那殿壇 龍興寺 副住職阿波建多

全部または一部を無断で複写複製することは、著作権法上での例外を除き、禁じられています

戻る

ACCESS

- アクセス

事業所

〒275-0024
千葉県習志野市茜浜1-12-3
ライフ・クリエーション・スクエア内BMSA・環文研共同研究棟1階

Google Map

本部

〒151-0051
東京都渋谷区千駄ヶ谷5-27-11
アグリスクエア新宿11階

Google Map
お問い合わせはこちら トップへ