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Thu

9/25

2025

人生永遠のテーマを追った作家 向田邦子(25)薩摩揚(筋書き)

 私は小学校3年生の時から3年間、父の転勤に伴い鹿児島で暮らしていました。もう36年前の話です。私は初めての土地に行くと、名所旧跡を訪ねるのではなく、市場を覗きます。特にかまぼこ屋の前を通ると薩摩揚を買ってその場で食べてしまいます。いろいろな薩摩揚を食べた中で、私にとっては鹿児島の薩摩揚でなくてはならないのです。戦前はその土地に行かなければ口に入ることはありません。鹿児島では薩摩揚を「つけ揚げ」と呼び、1個は当時1銭だったと思います。
 私は当時社宅に住んでおり「分限者(ぶげんしゃ)」という金持ちの扱いを受けていました。当時の私は納戸にある父の蔵書を読みふけっていました。それはテレビなどがない時代の唯一の娯楽でした。そしてこの時代の記憶には薩摩揚の匂いが漂っています。また人間の嫉妬や大人の事情がこの頃からぼんやりと見え始めました。角力大会で男の子の裸を見て父に怒られたのもこの頃でした。自分と性格の似ている私を、可愛がりながらも時に疎ましく思っていた父の気持ちが、今になってよくわかります。
 私はいまだに独り身で、ホームドラマを書いて暮らしています。その原点は、鹿児島で過ごした3年間に行き当たります。成長の中で女の子として目を覚ました時期なのでしょう。そういう大人への道程の中で薩摩揚の匂いと味がダブってきます。薩摩揚は私にとってのマドレーヌ※ です。

※ マルセル・プルースト著『失われた時を求めて』の作中に、主人公がマドレーヌを紅茶に浸した途端、
  家族と過ごした幼い頃の思い出が生き生きとよみがえるシーンがある

写真技術研究所別所就治

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