- 日替わりコラム
Wed
10/1
2025
私たちは、日常、あらゆる限定世界の中に生き、生かされておりますが、本来「心」というものは、制限されるものでも、縛られるものでもなく、「融通無碍(ゆうずうむげ)・自由自在(じゆうじざい)」の存在であります。
「心」は目に見えませんために、時として見失ってしまいがちですが、それは、見失っているだけで、「心」そのものが失われているわけではなく、どんな時でも、歴然として今ここに存在しているものなのです。
私たちの「心」は、悲しみや苦しみに苛まれております時、優しさや温もりを求めるものです。寒さや冷たさにガタガタ震えているばかりでは、それこそ「心」が壊れてしまいます。
だからと言って、寒さや冷たさを毛嫌いし、ぬるま湯に浸かって甘えているばかりでもいけません。心の強さや逞しさは、失敗や困難を恐れず、立ち向かうことや、耐え忍ぶことによって鍛えられるものです。
「石は研磨によりて玉となり、玉は琢磨によりて器となり、器は錬磨によりて心となる。そして、人は練磨によりて仁となる」と申します。
「『心』はいつでも無限大である」と、私は師から教わりました。
「心」は、外に探し求めるものではなく、内に秘め、見つめていくもの。そして、「愛」と「勇気」を持つもの…それが「心」です。
私たち一人一人に宿る無限大の「心」を大切にいたしましょう。
合掌
下野薬師寺別院 舎那殿壇 龍興寺 副住職阿波建多
全部または一部を無断で複写複製することは、著作権法上での例外を除き、禁じられています
- アクセス