Kanbunken 環境文化創造研究所

COLUMN

- コラム

弊所発行の「月刊クリンネス」に掲載された
過去の連載コラムの中から、
テーマ別に選りすぐりの記事をご紹介します。
(執筆者や本文の情報は執筆時のものです)

京都の魅力を訪ねて(2)

京都史愛好家(京都検定一級合格者) 井田恭敬

新発見で明らかになる秀吉の「幻の城」

 2016年の春、豊臣秀吉が天下統一を前に京都に築いた「聚楽第(じゅらくだい)」※ について、新たな「復元図」が作成されたという興味深いニュースがありました。
 1586年、秀吉は平安京内裏(だいり)跡地に自らの権勢を誇るように豪華絢爛な城「聚楽第」を築きました。5年後、秀吉は後継者とした甥の秀次に城を譲りましたが、実子の秀頼誕生とともに秀次を追放し、彼の死後「聚楽第」は造営からわずか9年で破却されました。「聚楽第」の存在は当時の屏風絵やポルトガル宣教師の日記から明らかでしたが、完全に破壊されたことや、址(あと)が住宅地であるため発掘が難しく、エリアや敷地の広がりなど詳しい実態は不明で、長らく「幻の城」と呼ばれてきました。
 しかし近年、建物の建て替えや再開発が進むなかで、石垣や堀などさまざまな遺構が発見されてきました。昨年からは地震計で地中を調べる「表面波探査」技術を用いて新たに天守台や堀の跡を検出し、このたびさらに詳しい「復元図」を作成することができたのです。
 この「復元図」によると「聚楽第」の範囲は東西760m、南北800mで、従来考えられていたものより1.6倍の広さを持つ本格的な城郭の姿が浮かび上がりました。この広さは京都御所をも凌ぐものと推測され、急速に権力を握った秀吉が、その力を朝廷はじめ天下に知らしめようとした、象徴的な施設であったことを実証しています。
(2016年10月号掲載)

※「じゅらくてい」ともいう

市中に残る奇跡「糺(ただす)の森」

 京都御所の北東。東から高野川、西から賀茂川が合流して鴨川となる三角地帯に、世界文化遺産の下鴨神社と糺の森があります。下鴨神社は、平安期以前に創生された京都で最も古い神社であり、糺の森は、社殿と長い参道を包む3万6千坪に及ぶ鎮守の森です。古代の植生が今に伝えられており、これほど広大な原生林が百万都市に健在なのは驚くべきことといえるでしょう。
 「糺の森」の語源は諸説ありますが、下鴨神社の御祭神(ごさいじん)が人々の正邪を「ただす」からとも、境内に清らかな清水が湧き出る「直澄(ただす)」からとも伝えられてきました。泉は古くから和歌にも詠まれた「ならの小川」や「瀬見の小川」の清流となり、樹々の間を流れていきます。落葉広葉樹からなる森は、四季折々に美しい姿を見せてくれますが、秋が更けていくのに従い、森全体が黄金色に染まります。やがて小川の水面は朱色に輝き、他の紅葉の名所とは異なる格別の風情が楽しめます。
 この森に縁(ゆかり)のある歴史上の人物の1人に、鴨長明(かものちょうめい)がいます。平安時代末期、下鴨神社の神官の家に生まれた長明は、『方丈記』を遺しました。中世の随筆文学の傑作とされる名文は、この地での経験に基づき書かれたといわれています。長明がどのような思いでこの森を歩いたのか、想像しながら散策することも一興(いっきょう)です。
(2016年12月号掲載)

「天神さま」と「太閤さんの御土居(おどい)」

 北野天満宮(北野天神)は、学問の神様、菅原道真を祀(まつ)る全国の天満宮(天神さま)の総本社です。早春、境内は道真公がこよなく愛した梅の香りが漂う中、合格祈願に訪れる多くの受験生で賑わいます。
 ところで、人々が参拝に訪れる本殿のすぐ西側に、「御土居」という史跡が姿を現しているのをご存知でしょうか。
 「御土居」とは、天下統一を成し遂げた太閤豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の町を復興するにあたり、外敵の来襲に備える防塁(ぼうるい)※1 と、鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として建造したものです。高さ5m、基底部の幅が20mの台形の土塁と堀から成り、市中の四方を囲んで、その延長は23kmに及びました。堀の一部は、川や池を利用し、北野天神あたりでは紙屋川が堀の代わりをしていました。
 御土居は、しばらくその形を留めていましたが、明治、大正期には、公共施設や宅地の建設により、次々と破壊されてしまいました。今では北野天神境内など、ほんの一部が遺構として守られているに過ぎません。
 かつて御土居の頂部には、土崩れを防ぐための竹が植えられていました。竹は建築資材としても重要なもので、土居奉行のもとで大切に管理されていたといいます。美しく手入れされた竹林の堤が、ミヤコ(洛中(らくちゅう))※2 をぐるりと囲んでいたさまは、絶景であったことでしょう。
(2017年2月号掲載)

※1 防御のために築いた構造物
※2 京都の市中

花の木屋町通、高瀬川と幕末の痕跡

 水ぬるみ、穏やかな日差しが感じられるようになると、厳しい冬の寒さから一変し、心はずむ桜の季節がやってきます。京都には桜の名所がたくさんありますが、京の中心を南北に走る木屋町通(きやまちどおり)も桜並木が美しく、昼夜を問わず花を愛でる人々で賑わいます。
 木屋町通は、京都の物資流通の要となった高瀬(たかせ)川とともに栄えてきました。高瀬川は江戸時代初期に、豪商であり、大土木技術者でもあった角倉了以(すみのくらりょうい)が、私財を投じて造った運河です。京都の中心部から伏見まで10kmを開削し、底の浅い小舟(高瀬舟)で往来できるようにしました。淀川と結ばれた高瀬川は、大坂との水運を発展させ、明治時代まで、木材、薪炭(しんたん)、米塩(べいえん)など日常生活に不可欠な物資を運んできました。船着き場の周りには材木問屋や商家が立ち並び、その光景から「木屋町」と名付けられたといいます。
 また、江戸時代には、このあたり一帯に土佐や長州をはじめ各藩の藩邸が建ち並び、各勢力の活動が盛んになった幕末には、勤皇(きんのう)※1 の志士や新撰組が駆け抜け、血なまぐさい事件が相次ぎました。まさに幕末動乱の震源地でした。あの坂本龍馬もこの地で最期を迎えています。付近には、歴史上の人物たちの寓居跡(ぐうきょあと)※2 や、事件を示す碑が点在し、小説やドラマで再現される幕末の物語が、ぐっと身近に感じられます。
(2017年4月号掲載)

※1 王や天皇への忠節を尽くすこと。幕末に京都朝廷のために働いた一派
※2 仮ずまい

豪華絢爛な祇園祭はいつから?

 7月。京都の街は日本屈指の祭礼、「祇園祭」で熱気に包まれます。
 平安時代、人々は多くの犠牲者を生む疫病(伝染病)を、悪い神のたたりと考え、疫神退散の神事を行いました。これが祇園祭の始まりです。その後、戦乱や大火による一時中止はありましたが、祭は町の人々の熱意に支えられ、1,100年の間、弛(たゆ)まず発展してきました。
 1か月間続く神事や行事の中でのハイライトは、山鉾(やまぼこ)※ 巡行(じゅんこう)です。祇園囃子(ぎおんばやし)が流れる中、大小33基の山鉾が、7月17日(前祭)と24日(後祭)に分かれ、京都の中心部を巡ります。山鉾には街の邪気を集めて清めるという役割があります。当初は人が捧げる程度の大きさでしたが、祭を担う町民層が経済力を増した桃山時代以降、美しさと趣向を競い合い、大型化し、華麗に変身していきました。装飾品には古今東西の故事や伝説をテーマにした染織・工芸品、名匠による絵画などが採り入れられました。今では、歴史的に価値の高い品々に包まれた「動く美術館」とも呼ばれるようになっています。
 豪華な山鉾が進み、辻回しという豪快な方向転換をする様(さま)に観客の歓声が上がる中、山鉾に向かって静かに手を合わせている人々がいます。華やかな祭の風情を楽しみながら、厳しい暑さに向かい無病息災を祈るという、1,000年の伝統が今も生きています。
(2017年7月号掲載)

※ 松や杉などの常緑樹で飾られているのが「山」、頂に金属製の鉾頭が付いているのが「鉾」と、大まかに見分けられる

路地歩きで「神田明神」と出逢う

 京都には、大通りから1歩入ると、町家に囲まれた細い路地が数多く見られます。路地のことを、京都ことばでは「ろーじ」と発音します。
 「ろーじ」はどこも地域の人々によって綺麗に掃除され、辻々(つじつじ)※ に祀(まつ)られているお地蔵さんの祠(ほこら)には、花が供えられています。ホーロー造りの古い町名看板や、その地の歴史を表す小さな石碑など、「ろーじ」に入るといかにも京都らしい雰囲気が味わえます。
 路地には行き止まりになっているものと、通り抜けができるものとがあります。前者は単に「路地」といわれる一方、後者は「図子(ずし)[辻子(ずし)]」とも呼ばれ、ユニークな名前がついたものが多くあります。
 たとえば、四条通りから綾小路に抜ける「膏薬図子(こうやくのずし)」は、平安時代、乱に敗れた平将門(たいらのまさかど)の首が晒(さら)され、のちに空也上人(くうやしょうにん)がその霊を弔った場所です。その「空也供養」が長い年月を経て訛(なま)り、「膏薬」と発音されるようになったといいます。折れ曲がった150mほどのこの図子には、将門を祀る「神田明神」の祠が安置されています。神田明神といえば東京のイメージですが、京都にもあったとは意外な発見でした。
 路地は住民の生活の場であり、訪れるには配慮も必要ですが、迷路のような小路(こみち)に迷い込み、新たな発見ができる路地歩きは京都の大きな魅力のひとつです。
(2017年9月号掲載)

※ 小さな十字路ごとに

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