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COLUMN

- コラム

「月刊クリンネス」に掲載された
過去の連載コラムの中から、
テーマ別に選りすぐりの記事をご紹介します。
(執筆者や本文の情報は執筆時のものです)

合っていますか?その日本語(4)

文化庁国語課 主任国語調査官 武田康宏

就職はお決まりになりましたか

 ふだん聞くことのあるなにげない言い回しであっても、正しい使い方かどうか気になってしまうものがあります。たとえば、「就職はもうお決まりになりましたか」という表現はどうでしょうか。文化庁の調査では、4割を超える人(40.5%)が「気になる」と回答しています。どんな点が問題になり得るのでしょうか。
 「お決まりになる」という尊敬語の形自体に問題はありません。しかし、この場合「決まる」の主語は人ではなく「就職」です。文法的には「就職」を立てている発言のように聞こえるおそれがあるのです。「就職はもうお決めになりましたか」という言い方であれば、「決める」のは人ですから、間違いのない尊敬表現として受けとれます。
 しかし、就職は、決めたくても自分で決められるものと限りません。「就職」には「決める」よりも「決まる」という表現が多く使われます。友人同士であれば「就職決まった?」などと尋ねるのが一般的でしょう。そのまま尊敬表現に直そうとした結果として、「就職はお決まりになりましたか」といった言い方が生じると考えられます。
 「就職」が相手に属する事柄であると考えれば、この表現を誤りと考える必要はないでしょう。それでも、「気になる」という人がかなりの割合でいるということには、注意しておくべきかもしれません。
(2021年2月号掲載)

「全然できる」と言ってよいか

 「全然」という言葉を使って例文を作るという問題に、「全然できます」、「全然同じ」などと答えたら誤りだと言われるかもしれません。多くの辞書は「全然」の使い方について、基本的に否定や打消しの表現と組み合わせて用いると説明しています。たとえば、「全然だめだ」、「全然変わらない」のように使うのが一般的だとされてきました。
 しかし、最近の研究では、この考え方は戦後定着したものだとみなされるようになっています。実際、過去の有名な作家たちの文章には、否定的表現を伴わずに「全然」が使われる場合がありました。たとえば、夏目漱石の『趣味の遺伝』には「マクベスの門番は山寺のカッポレと全然同格である」、太宰治の『鷗(かもめ)』には「きっと在るのだ。全然新しいものが、そこに在るのだ」といった表現が見られます。これらの「全然」は、「すっかり」、「非常に」といった意味で使われています。森鷗外や芥川龍之介も同様の書き方をすることがありました。
 「全然おいしい」などの言い方は若者言葉のひとつとみなされるなど、これまで多くの辞書は、否定的表現を伴わない用法を「俗用」、「誤用」などとしてきました。しかし、新たに改訂された際には、否定を伴わない使い方にも言及するようになっています。こうした言い方をむやみに用いるのは考えものですが、誤りとまでは言えないでしょう。
(2021年8月号掲載)

「より」と「から」の使い分け

 「京都"より"東京の交通費は高い」。多くの人は「京都に比べて東京のほうが交通費は高い」と読むでしょう。けれど、違う解釈もあります。
 「より」には〈比較〉の意味があり、「会議の時間は午前"より"午後がよい」、「社長"より"副社長のほうが若い」などと使われます。しかし、比較のほか、時間や場所などの〈起点〉を示す「から」と同じように、「会議は午前"より"午後まで行われた」、「社長"より"副社長にお褒めの言葉があった」といった使われ方をすることがあります。「京都より東京の交通費は高い」の「より」を起点の意味で捉えると、「京都から東京までの交通費は高額だ」とも解釈できてしまうのです。
 こうした誤解を避けるために、法令や公用文書には、「より」を比較に限定して使うという原則があります。起点を示す場合には「午前から午後まで」、「社長から副社長に」と「から」を用います。
 ただし、「から」を避ける文化もあります。伝統芸能や演劇の世界などでは、興行が始まる日などを表すのに「○月○日から」を用いないといいます。これは「から」が「(客が)空っぽ」に通ずるためで、代わりに「より」が使われます。
 事情は少し複雑ですが、誤解を避けることを第一にしつつ、場面や相手に応じて「より」と「から」を使い分けてみましょう。
(2021年12月号掲載)

良い爪痕(つめあと)、悪い爪痕

 最近、スポーツや芸能関係の記事に「爪痕を残す」という言葉がよく用いられています。「爪痕」は、「爪でついたきずあと」のこと。転じて、強い印象を与えたり目立ったりすることを「爪痕を残す」と表現するのです。
 次に挙げるのは、ネットニュースの用例です。「日の丸を背負い、世界に爪痕を残すと活躍を誓う○○選手」。「(俳優の○○は)そのあたりから、話題作で鍵となる人物を演じて爪痕を残すようになった」。「研ぎ澄ました歌声で人々の心に爪痕を残すことをテーマに結成された女性ボーカルグループ、○○」。
 ところが、実はこのような用法を認めている辞書はまだありません。『広辞苑第七版』で「爪痕」を引くと「比喩的に、事件・災害が残した被害や影響」とあります。『明鏡国語辞典第三版』には、「存在感や好成績を残す意で使うのは、本来は誤り」という説明も見られます。
 たしかに、地震や台風、また戦争などを扱った記事で用いられる「爪痕」は、「震災の爪痕を残す学び舎」、「砲撃が人々の心に残した爪痕」など、被害の痕跡や悪い影響を示します。良い意味で使う「爪痕を残す」は、今後も着実に広がっていくことが予想されますが、現時点では、誤解を招かないよう注意する必要もあるでしょう。
(2022年8月号掲載)

「拝見させていただく」は間違いか

 ビジネスマナーのサイトに、「拝見させていただく」という表現は二重敬語で誤りだと断ずるものがありました。しかし、文化審議会が示した『敬語の指針』の考え方からすれば、一概にそうとは言えません。
 それらのサイトが二重敬語とする理由は「拝見する」と「(させて)いただく」という謙譲語が重なっているから、ということのようです。しかし『敬語の指針』は、ふたつの言葉に敬語を用いて「て」でつなぐ用法を「敬語連結」として認めています。たとえば「お読みになっていらっしゃる」は、「読んでいる」の「読む」と「いる」をそれぞれ尊敬語である「お読みになる」と「いらっしゃる」に直し、「て」でつないだ形です。また、「御案内してさしあげる」は「案内してやる」の「案内する」と「やる」を謙譲語である「御案内する」と「さしあげる」に直し、「て」でつないだ形です。いずれも文法的に問題ありません。
 では、「拝見させていただく」はどうでしょうか。「見させてもらう」の「見させる」を、謙譲語「拝見する」を使って「拝見させる」にし、「もらう」を謙譲語「いただく」に直した上で「て」でつないでいると考えれば、二重敬語ではなく敬語連結であると言えます。もし問題があるとすれば、「(さ)せていただく」という言い方が本当に必要な場面なのか、過剰になっていないか、という点かもしれません。
(2023年6月号掲載)

古い言葉遣い

 国語の時間に学んだ『枕草子』や『徒然草』。今も冒頭部分を暗記している方がいるかもしれません。学校を卒業してしまうと古典に触れる機会はなかなかないものですが、現在も古典にあるような表現を知らず知らず使っていることがあります。例を見ましょう。
 知る人ぞ知る=詳しい人ならよく知っている、といった意味。「係り結び」という語法を使って意味を強めています。
 恐るるに足らず=怖がるまでもない、といった意味。「恐るる」は古い言い方で、現在は「恐れる」というのが一般的です。
 行きつ戻りつ=行ったり来たりする、といった意味。「つ」は並列を表す言葉で、「組んずほぐれつ」などにも見られます。
 古き良き=「古き良き時代」など、過去を懐かしむ意味で使います。現在は「古い」、「良い」というのが一般的です。
 願わくは=「願わくは幸せな1年になりますように」など、こうありたいという気持ちを表します。漢文などに見られた表現です。
 この中にあなたが使う言葉はありましたか。古典の中にある言い回しや文法は、今でも生活の中に現れ、日本語を豊かにしています。一方で、若い人や日本語を勉強中の外国の方には通じないことも多いでしょう。伝え方に気をつけながら、日本語の深さを味わいましょう。
(2023年8月号掲載)

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