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COLUMN

- コラム

「月刊クリンネス」に掲載された
過去の連載コラムの中から、
テーマ別に選りすぐりの記事をご紹介します。
(執筆者や本文の情報は執筆時のものです)

カビ毒DONの規格基準よもやま話

元国立医薬品食品衛生研究所 衛生微生物部 部長 小西良子

DONとは?

 DONというカビ毒をご存知でしょうか。食品を汚染するデオキシニバレノールという舌を噛みそうなカビ毒の名前の略で、日本を含む温帯地域に好んで生息するフザリウム属という植物病原真菌が産生します。これに感染した小麦粒は赤くなるため、赤かび病とも呼ばれています。特に麦類を好み、麦の開花期に感染して増殖し、DONを産生します。
 DONをある量以上摂取すると嘔吐、下痢などの消化器障害を起こします。第2次世界大戦下の食料不足の日本では赤かび病におかされた麦も食用としたため、各地で食中毒事件が多発しました。
 DONが日本で注目されたのは、2001年に開かれたJECFA※1 の会議が発端です。この会議でDONのリスク評価が行われ、研究者として参加していた熊谷進氏(元食品安全委員会委員長)とDONの発見者である芳澤宅實氏(元国立大学法人愛媛大学監事)は帰国後、緊急で麦類中のDONを測定するよう関係者に働きかけ、国産・輸入小麦の調査が始まりました。その結果、国産小麦に比較的高濃度のDONが含まれていることがわかり、厚生労働省は速やかに暫定基準値を設定しました。そして約20年を経た2022年4月から、暫定が取れて正式に基準値※2 となります。この機会に、DONについてのよもやま話をしていきたいと思います。
(2021年11月号掲載)

※1 食品添加物や汚染物質などの食料品の安全性評価を行う国際的な専門家会議
※2 玄麦を対象として1.0mg/kg

類縁物質の毒性

 カビ毒DON(デオキシニバレノール)は主に麦の中で植物寄生菌により生成されますが、この菌はDONの類縁物質も作ります。たとえば、アセチル化DONやDONにグルコースが結合したDONグルコシドです。これらが麦に占める量はDONのおよそ10%といわれていますが、リスク評価時に問題となるのは類縁物質にも毒性があるのか、DONと比べて毒性の強さはどの程度か、ということです。
 実は、2010年のJECFA※ ではこの問題に取り組んでいました。アセチル化DONについては、腸から吸収される際にDONに変換されると考えられたため、アセチル化DONとDONの合算量で耐容1日摂取量を設定しました。一方のDONグルコシドについては、当時その毒性に対する論文が少なく、評価されませんでした。その後、DONグルコシドの腸管からの吸収や毒性についての研究も進み、2018年に出された食品安全委員会のDONのリスク評価書によると、アセチル化DONもDONグルコシドも体内に吸収されるときにDONになると考えられています。
 近年、農作物の中で毒性が隠れた状態で存在するカビ毒は、DONだけではないことがわかってきました。このようなカビ毒をマスクドマイコトキシンと呼び、研究者の間で新しいカビ毒として注目されています。
(2021年12月号掲載)

※ 食品に対するリスク評価などを行う国際的な専門家会議

小麦加工品の調査

 食品中のカビ毒の基準値を決めるときに、調べなければならないことがいくつかあります。まず、そのカビ毒は原材料をどのくらい汚染しているのか、次に、加工することでどのくらいそのカビ毒は減るのか(減衰率)、そして、日本で暮らす私たちが口にする食品から最終的にそのカビ毒をどのくらい摂取しているのか(暴露量)ということです。これらの調査研究の多くは、国立医薬品食品衛生研究所で行われています。
 カビ毒DON(デオキシニバレノール)は小麦を汚染するため、摂取量の多い加工食品はうどんとパンです。DONは水に溶けやすいので、ゆでるとうどん中のDONは30%ほどになり、あとはゆで汁に移行します。一方パンでは、ほぼ100%残ります。
 かなり前の話になりますが、私が研究員としてDONの基準値策定における減衰率の調査研究に携わっていた時に起きたことをご紹介します。ある国産小麦粉を使ってパンを作りました。焼き上がりの一部を官能検査※1 として試食したのですが、DONの含有濃度を測定したところ現行の基準値以上の数値が検出され、急遽、試食者の健康被害を調査する事態となってしまいました。結果的に健康被害はなかったのですが、基準値は健康被害が起こる量の少なくとも100分の1※2 の量で設定されているということの重要性を実感した出来事でした。
(2022年1月号掲載)

※1 視覚や聴覚、嗅覚など、人間の感覚を用いて行う検査方法
※2 動物実験での無毒性量を100で割った値を、ヒトに対する耐容摂取量(安全量)として算定する。「安全係数」ともいう

さまざまなリスク評価

 食の安全を脅かす危害物質(ハザード)の基準値策定には、リスク評価が必須となります。リスク評価の1項目に毒性試験があり、無毒性量(NOAEL)や最低毒性量(LOAEL)を決定するためのさまざまな試験が行われています。そのひとつに、毎日、危害物質を餌や水に混ぜてマウスやラットに強制的に摂取させ、その影響をみる反復投与という試験があります。比較的短期間(通常1か月〜3か月程度)のものを亜慢性毒性試験、長期間(通常6か月以上)のものを慢性毒性試験と呼んでいます。
 この反復投与の危害物質がDONの場合、量を多くすると餌を食べずにお腹を空かせて仲間を食べる(『鬼滅の刃』に出てくる鬼のようです)事態が起こってしまうのです。そんなにまずいものなのかと試しに私もちょっと食べてみました(発がん性のあるものは試食しません)が、漢方薬のように苦く、これでは胃の奥が痙攣して嘔吐をもよおすのも無理はないと納得した思い出があります。
 食品にDONが混入しているかどうかを調べる検査のひとつに”ネズミに食べさせて食べなかったら汚染していると判定する“という方法が報告されていましたが、ヒトはネズミやブタに比べるとこの味に対しては鈍感なほうだと、個人的には感じています。
(2022年2月号掲載)

DONのコーデックス規格

 日本におけるDON(デオキシニバレノール)の基準値(暫定)が決まったのは2002年5月のことで、これはJECFA※1 がDONのリスク評価を行った翌年という非常に早い対応でした。
 一方、食品の国際規格であるコーデックスではなかなか決まらず、JECFAが2010年に再度リスク評価を行った結果を受けて2015年に「加工向けの穀類(小麦、大麦、トウモロコシ)」(2mg/kg)、「小麦、大麦、トウモロコシを原料とするフラワー、ミール、セモリナ及びフレーク」(1mg/kg)、「乳幼児用穀類加工品」(0.2mg/kg)に細分化した基準値が設定されました。では、なぜ難航したのでしょうか。
 コーデックス規格は、コーデックス委員会で決定されます。この委員会は188か国およびEU※2 で構成されており、各国政府の代表が参加します。そのため、生産国と消費国の利害関係がぶつかり合い、基準値合戦が繰り広げられるのです。会議中はもちろんのこと、休憩中のロビー活動も激しく行われるようです。私は国立衛生研在任中にJECFAとコーデックス両方の会議に参加したことがありますが、科学者の代表が集うJECFAでは、そのような駆け引きはほとんどありませんでした。日本では今回、コーデックス規格を基にDONの正式な基準値を決定しましたが、幼児用への規制がないのが少し残念です。
(2022年3月号掲載)

※1 食品に対するリスク評価などを行う国際的な専門家会議
※2 2018年5月現在

DONの試験法

 令和4年4月からの正式な基準値の適用に伴い、令和3年9月30日付け「小麦中のデオキシニバレノール試験法について※1 」が出されました。平成14年の暫定基準値設定を受けて翌年の7月に発出された「デオキシニバレノールの試験法について」に関わった1人としては、このおよそ20年での分析機器や技術の驚異的な進化に感銘を受けました。
 約20年前の試験法には、確認試験として液体クロマトグラフ・質量分析計(LC-MS)またはガスクロマトグラフ・質量分析計(GC-MS)を用いる※2 とあります。当初、DON(デオキシニバレノール)を含むトリコテセン系カビ毒の測定はGC-MSが主流でしたが、安定した分析値を出すには技術の習得が必要だったことや、高感度な検出ができるイオン化法の試行錯誤と機器の飛躍的な進歩も相まって最近ではLC-MSが一般的です。また、スクリーニングに用いられるELISA法は簡便な測定法ですが、免疫反応を応用した生物学的な手法のため、理化学的な正確さを好む分析関係者からは不評でした。しかし農林水産省は、汚染小麦の流通防止には現場ですぐに測定できる方法が必須と考えて積極的にその普及に取り組み、通知に取り入れられるようになりました。
 通知ひとつにしても、その時代背景と密接に関わっています。今回をもちまして、本シリーズを終了といたします。ありがとうございました。
(2022年4月号掲載)

※1 生食発0930 第1 号厚生労働省大臣官房生活衛生・食品安全審議官通知および(別添)小麦中のデオキシニバレノール試験法
※2 「デオキシニバレノールの試験法について」(平成15年7月17日付け食安発第0717001号厚生労働省医薬食品局食品安全部長通知)
令和4年3月31日をもって廃止予定

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